5周年記念講演

 

 

5周年記念講演「この国と この星と 私たち」

 

講師 的川泰宣先生 宇宙工学者 jaxa(宇宙航空研究機構)名誉教授

 

5月21日午後1時から鎌倉芸術館小ホール

 

 

 

(授業リポート・要約)

 

 

46億年前の小惑星(わくせい)の鉱物が地球に 

 

今日は「はやぶさ」から「はやぶさ2」へ、という題で話をします。今「はやぶさ2」が小惑星を目指して飛んでいますが、相模原(さがみはら)にあるJAXA研究所では何も問題が起きないので、かえって不安になっています。

 

 なぜ小惑星なのか

 

「はやぶさ」は 私が内之浦(うちのうら)(鹿児島県)にある宇宙(うちゅう)空間観測所の所長だった時に最後に飛ばしたロケットで、故障(こしょう)続きで大変な苦労をした思い出深い探査(たんさ)機です。

 

 「はやぶさ」が、小さな小惑星を目指したのは、46億年前の太陽系の始まりのナゾを追及(ついきゅう)するためです。月や火星などの大きな星は重力があるため、46億年間も内部で熱を出し続けています。そのため物質は熱で変化し、当時のままの状態で残っているものは何もありません。

 

ところが小惑星は重力がないため熱が出ない。だからできたままの状態で、すべての物質が残っています。その46億年前の状態のままの物質を地球に持って帰れば、太陽系のナゾに迫(せま)れると考えたわけです。人々の心に火をつけるのは、いつも「夢と好奇心(こうきしん)」です。

 

 中小企業(きぎょう)に部品を発注

 

1995年に宇宙開発委員会が発足して「8つの世界初」への挑戦(ちょうせん)を始めました。当時はバブルがはじけた直後であり、日本人に元気が残っていました。ところが予算が少ない。そこで大企業ではなく、150社の中小企業に部品を注文して、2000年の旅立ちに向けての探査機が完成しました。 

人々が大きく踏(ふ)み出す推進(すいしん)力は、「挑(いど)みたい」という冒険(ぼうけん)心、「創(つく)りたい」という「匠(たくみ)、ものづくりの心」があり、貧乏(びんぼう)ながらアイディアの引き出しがあった。この3つの心がスクラムを組むことにより いのちを輝(かがや)かせることができたのです。

 

名前は「アトム」から「はやぶさ」に

 

2003年5月9日。打ち上げに成功しました。目指すは岩石だらけの小惑星。地球からは3億キロも離(はな)れていて、地球から指示を出す通信には片道(かたみち)8分、往復16分もかかります。このため何か起きた場合は、独自に判断する自律(じりつ)プログラムを「ハヤブサ」に組み込(こ)んだのです。 

ロケットの「はやぶさ」の名前は2番手でした。名前を付けるための委員会の第1候補(こうほ)は、65%の票を集めた鉄腕(てつわん)アトムの「アトム」でした。ところが英語では「アストロボーイ」に訳(やく)されていて、小惑星の追跡(ついせき)を依頼(いらい)する外国の人たちにはピンとこない。そこで2番手の「はやぶさ」が採用されました。ハヤブサという鳥は3キロ先が見え、獲物(えもの)にサッと飛びつき、サッと舞(ま)い上がる、探査機にふさわしい名前だということになったのです。

 

  「イトカワ」に2回も着地に成功

 

小惑星の名前は、発見当時は「1998SF36」でしたが、日本のロケット開発に貢献(こうけん)された私の大学(東大大学院)時代の指導教官、糸川英夫教授にちなんで「イトカワ」と命名されました。

 

「はやぶさ」は、2年後の2005年9月に「イトカワ」に到着(とうちゃく)しました。

 行きの行程では、姿勢(しせい)制御(せいぎょ)のコマ4基のうち2基が故障(こしょう)しました。4基ともアメリカ製の値段(ねだん)が安いものでした。

 20代~30代の「プロマネ」(プロジェクトマネジャー)が中心になって残りの2基を使って姿勢制御をする訓練を繰(く)り返し、運行を立て直し、「イトカワ」に近づき、46億年前の小惑星を世界で初めて見ることができたのです。

 11月20日と26日の2回、着地にも成功しました。

 

 燃料漏れ、通信途絶え、とピンチ

 

 ところが11月26日にガスジュットの燃料漏(も)れが発生、燃料が全部、流出してしまいました。そのため姿勢制御ができません。心配されましたが、予想もしなかったイオンエンジンを使うことによって12月4日、立て直しました。

 さらに12月8日には「ハヤブサ」からの通信が途絶(とだ)えてしまったのです。だれかが「とうとう家出息子が連絡(れんらく)をくれなくなったなあ」と言いました。

 その時に役立ったのが「のぞみ」(1988年に打ち上げた火星探索機)の時に学んだ「ニュートンの推測(すいそく)」という、過去のデーターから「ハヤブサ」の居所を探す手法でした。

 連日、連夜、宇宙からの電波を監視(かんし)することにより、やっと「1ビット通信」ができるようになったのです。「Yes」「No」の簡単(かんたん)なやりとりを100回ほど繰り返すことで、なんとか連絡が出来たのです。

 そのため地球への帰還(きかん)を2007年から2010年に3年延期(えんき)しましたが、

 2007年4月、地球へ向かう軌道(きどう)にのせることに成功しました。

 

 

1000個の微粒子(びりゅうし)をお土産に帰還

 ところが2009年11月4日。イオンエンジンが4基とも故障しました。

 この時はプロマネの川口淳一郎が絶望の記者会見をしました。しかし、故障した4つのイオンエンジンは単独では使えないが、4つをつなげば使える可能性があることに設計者が気付き、これも奇跡(きせき)的に立て直すことができました。

 2010年6月13日。「はやぶさ」はオーストラリア上空に戻(もど)ってきました。

 「イトカワ」から採取した微粒子1000数百個を持ち帰ってきたのです。

 

最後にみなさんに伝えたいことが2つあります。それは

 ひとつは 日本のモノ作りの素晴らしさ

 ふたつは 適度の貧乏と未来への高い志

 ということです。21世紀の日本は お金持ちでなくとも 素晴らしい国であってほしいです。

 

 

(文責・宇野次郎 写真・島村國治)