2021年度子ども大学かまくら第1回授業
「自然観察から生命科学の研究へ」
講師 桂勲先生 国立遺伝学研究所・総合研究大学院大学名誉教授
2021年7月17日(土) 10時~12時
鎌倉芸術館小ホール
(授業レポート)
皆さん、こんにちは。今日は「自然観察から生命科学の研究へ」というテーマで、生物好きだった私がなぜ研究者になったか、科学とは何かを、皆さんにお話しします。
私は75歳で、高校3年生の孫がいます。鎌倉の稲村ヶ崎で育ち、結婚するまで住んでいました。子ども時代に鎌倉の海や山で遊んだ影響で、生物の研究者になりました。
これが70年前の稲村ヶ崎寄りの七里ヶ浜の写真です。ここに「音無川」の橋が見えます。昔は大潮になると海岸から50メートル先まで岩が出てきました。岩の間に海水がたまった潮だまりにいる魚を見て、「おもしろいなあ」と思ったことで、私の人生は、ほぼ決まってしまいました。
「書物でなく自然を学べ」
「自然の中の生物を観察してみよう」―これが生物の研究者の原点です。アフリカや南米のアマゾン、東南アジアに行って、フィールドワーク(野外調査)をして研究する人もいます。私のように実験室に閉じこもって実験をする人もいます。いろいろな研究のやり方があります。でも研究の原点は自然の中の生物です。
私は、自然の中を歩いて生物を見ると元気が出ます。元気になることが将来の仕事につながると、すごく楽しいことだと思いました。中学の時に、ルイ・アガシーという生物学者が大学生に語った言葉、「書物ではなく自然を学べ」を、生物の先生から習いました。
本ばかり読んでいては生物の研究はできない。本に書いてあることはすでに分かったこと、新しいことを発見するのが研究者、だから自然から学ばなければ、という意味です。
自然の中を歩いてみましょう
鎌倉には自然が残っています。そこで生き物を探し、見つけたら、どんな場所で、どんな季節に、どんな時間にいたのか。さらに大きさ、色、形、動き、鳴き声、周りの環境にも注意して見てみよう。昆虫だったら卵なのか、幼虫、さなぎ、成虫のどれなのか。植物だったら花はどんな形をしていたか、実や茎、葉っぱ、根っこが見えたら、どういう状態だったか。海岸に転がっている貝殻は何という貝だろうか。気をつけて見てください。
なぜ芭蕉は研究者にならなかったか
自然観察で生物を見ると感動することがあります。その感動から研究につながる人と、別の方向に行ってしまう人がいます。それの違いはなぜなのか。
「山路来て 何やらゆかし すみれ草」―これは江戸時代に登場した松尾芭蕉という俳人の俳句です。私も好きな句です。「何やらゆかし」の「ゆかし」は、心が惹かれるという意味です。山を歩いていて、ふと見たら道の傍にスミレが咲いていた、スミレを見て心が惹かれた、その気持ちを大切にして、それを俳句にした。でも芭蕉は生物学者にはなりませんでした。
芭蕉はスミレそのものではなく、スミレと出会った自分の体験がすばらしいと感じたのです。その俳句をよんで、人は共感します。人間と人間の間につながりができる、これは人間社会では大切なことです。しかし、スミレそのものに関心を持つ人もいます。
スミレを見た時に、「スミレはどんな環境で育つのか」「花が咲く時期は何で決まるのか」「日本にある約50種のスミレのなかで、何というスミレなのか」といった事に興味を持つ人は、研究者に向いてるかもしれません。
神戸川にアユがいた
私の父は理科系のサラリーマンでしたが、母や同居していた祖母は理科系が苦手でした。私は、よく夜の食事でアジなどの魚が尾頭付きで出てくると、お箸で解剖して、骨がどうなっているか調べてました。すると母や祖母に「ご飯がまずくなるからやめなさい」とか言われました。しかし、私のような興味を持つ人がいたため、人類は科学を発展させることができたんです。
私は今、西鎌倉に住んでいます。近くを流れている神戸川の川辺を散歩していると、魚が泳いでいるのが分かります。たくさんいる小さな魚はハゼの仲間です。この写真には群れをなして泳ぐ魚が写っていますが、ハゼではない。ハゼはふだん川底にじっとしていますが、この魚は動きっぱなしです。この魚は何だろうと、ここ十年ぐらい考えていました。インターネットで調べたら、ある人が「アユだ」と言ってました。しかし食べるアユは20センチぐらいの大きな魚です。普通は清流に住んでいます。そこで、この神戸川にいる魚がアユなのかを調べてみようと思いました。
まず仮説を立てました。これはアユかもしれないという仮説です。魚を捕って図鑑と照らし合わせたら簡単に分かりますが、それはマナーに反する。魚を取らずに確かめることにしました。
アユは1年しか生きない。秋の終わりに川の下流で卵を産み死んでしまう。卵から返った稚魚は海へ下り、春に川を上ってきて、夏と秋は川で育つ。そういう魚だと生物学者として知っていました。
では、アユであることを確かめるにはどうすればいいか。もしアユならば冬にいなくなり、春に川を上ってくる。これを調べればいい。地図で見ると神戸川は滑川よりは小さい川です。ボランティアのおかげで、ドブにならずにきれいに保たれている川です。
仮説から予測、そして検証へ
今年の3月22日、神戸川をアユが上ってくるのを確認しようと、上流の方から川を下ってずっと探しましたが、いなかったんです。がっかりして砂浜に降りて河口を見たら、アユの子ども、ひょろひょろしている氷魚が泳いでいた。翌日にも行ったら、今度は神戸橋の上から少し大きくなった2,3センチのアユの形をしたのを見つけました。背中が川底と同じ色なので、なかなか見つけられない。でも5分ほど見てると、川底の苔を食べる時に白いお腹が見えるので、見つかるんです。
地図で説明すると、3月23日はここで、27日はここ。4月2日はこの橋を越えて、全部で約2ヶ月かかってモノレールの西鎌倉駅のそばまで上って来ました。この赤い印は、その後、いつ行ってもアユがいるところです。こうしてアユであることが確認できました。
研究はナゾが一つ解けると次のナゾが出てくる。次のナゾは、「アユとしては小さいけれど、どこまで大きくなるんだろう?」「どこで卵を産むのか?」といったことです。
私が調べたこの方法は典型的な科学のやり方です。つまり仮説を立て、予測を導き出し、その予測を検証する。科学というのは何かを証明することなんです。おもしろいアイディアを見つけたら、それをちゃんと証明しなきゃいけない。それが科学者の仕事です。
「不思議だと思うことが科学の芽」
日本人で二番目にノーベル賞をもらった物理学者の朝永振一郎先生は、こう語っています。
「ふしぎだと思うこと、これが科学の芽です。よく観察して確かめ、そして考えること、これが科学の茎です。そうして最後になぞが解ける。これが科学の花です」
朝永先生は、植物の成長過程にたとえて、科学を動機、方法、目標の三つに分けたのです。
一つ目は動機です。未解決の問題に興味を持つことから科学が始まる。
二つ目は、方法です。よく観察して確かめ、考えること。生物では野外調査や実験、物理では主に実験ですが、実験は条件を人の手で変えて観察することとも言えます。
最後の三つ目は科学の目標、目的です。科学の目的は人類が今まで知らなかった新しい知識を見つけること、これが科学者の仕事です。ひとつひとつ新しいことを見つけ、それを積み重ねることで科学は進歩してきたんです。
海の魚を飼うことで科学者に
では科学者になるためにどうすればいいか。私の体験を具体的にお話しましょう。
自然観察からいきなり科学者になる人もいます。私の場合、自然観察から、もう一つ別の段階がありました、それは海から捕ってきた魚を飼うことでした。これは私が科学者になったことと大きな関係があります。
小学3年生の時、潮だまりで捕った魚をホルマリン漬けの標本にしました。けれど、いま一つおもしろくない。飼ってみたら魚の生態が分かるのでは、と思ったんです。淡水魚を飼ったことはあるけど海の魚は飼ったことがない。それでも、小学5年生の時、海の魚を飼いはじめました。
そしたら2ヶ月で水が臭くなって魚は死にました。いろいろ工夫をして中学2年生まで続けました。最後に飼ったのは、トゲチョウチョウウオという魚の幼魚です。黒潮に乗って南からやって来る魚で、昔は葉山で捕れました。成魚になる前に冬になると死んでしまう魚なので、この魚を捕って飼っても、生態系を崩すことはないと思いました。
飼い始めるといろいろなことが気になる。水には酸性、中性、アルカリ性という区別があります。海水は弱いアルカリ性、PH 8ぐらい。魚を飼っていると、どんどん酸性になっていく。酸性化したら重曹の溶液を入れてPH8に戻してやるわけですね。
海水の塩分は3%ほど。本に海の魚を淡水で飼えると書いてあり、やってみました。1年ぐらいかけて、少しずつ塩分を薄めていき、最後には塩分濃度を海水の100分の1にしても飼えるようになりました。
海の魚を飼っていると、海の魚も川の魚も体内の塩分濃度は一定のはずなのに、どうやって体の塩分を調節しているのだろうと興味がわいてきます。調べていくと浸透圧という言葉が出てきます。つまり海の魚を飼うことが物理や化学の勉強へと広がっていったのです。そこから生物の研究に物理や化学を使ったらおもしろいことが分かるんじゃないかという発想が出てきたのです。
(休憩)
何事も一流になるには1万時間
ここからは、研究者はどんなことをするのか、研究者になるにはどうすればよいのか、その話をします。
この写真は、大学4年で卒業実験をやってる時の写真です。右側が私。実験系の研究者は、朝から食事と休憩以外は、実験台の前に向かって実験を続ける、すごく変わった人種です。何がおもしろいのか。新しいことが分かり、それを論文にするのがおもしろい。
研究者になるには博士号を取ることです。博士号を取っていれば、世界のどこに行っても研究者だと認めてくれます。博士号を取るためには大学を卒業してから、さらに大学院で5年間、勉強を続けます。
ある人が書いた本に、演奏会を開くような音楽家になるには、 1万時間の訓練が必要だと書いてありました。大学院で5年間、実験や勉強をする時間も大体1万時間なんです。
5年間の博士過程では、論文を読んで理解する訓練をします。論文には、なぜ興味を持ったか、どういう実験をしたか、なぜそういう結論が出たかが書いてあります。
論文が正しいか、優れているかを読んで分かるようになると、次に世界でまだ分かってない問題を見つけ、その解き方を探します。解き方が見つかったら実験して、結果を分析、解釈し、最後は論文を書いて発表します。論文は英語です。だから英語をしっかり勉強しておくことも必要です。
論文にする結果が出たら、学会で発表して議論をします。そうすると、いろいろなことに気づきます。研究者にとって、議論をすることはすごく大切なことです。
生命科学とは何か
生命科学の分野ではどんな研究が行われてきたか、私自身がやってきた研究を中心にお話します。最近は生物学の代わりに生命科学という言葉を使う人が多い。生物学だけでなく、医学、農学、薬学、生物工学などでも、基礎が共通になってきた。その共通の基礎が生命科学です。生命科学の内容は、主に遺伝子と細胞と生体物質の科学です。
1964年に大学に入った時にびっくりしました。大学では、「DNA→RNA→タンパク質」、すなわち、遺伝子であるDNAの指令でRNAができてタンパク質ができる、これが生物の基本だと言うんです。私が高校で習った生物学とは全く違う。でも、今では、このことを高校の生物で教えています。
私が生物に興味があったのは生物の形でした。ところが、この時出会った「生物の基本」は、どこにも生き物の形がない。私がおもしろいと興味を抱いた生物学とは違うんです。
この「生物の基本」を簡単に説明します。DNAは生物の設計図である遺伝子です。遺伝子は、生体内の働き手であるタンパク質を作るための情報を持っています。どんなタンパク質をつくるか。人間など哺乳類のタンパク質は2万数千種類あります。ですから遺伝子が2万何千個あるんです。この2万数千種類のタンパク質がいろいろ働き合って、哺乳類の体ができてくるわけです。
コロナワクチンはRNA
DNAとタンパク質の間にあるRNAとは何でしょうか。遺伝子、つまり生物の設計図であるDNAは「こういうタンパク質を作りなさい」と指示するのです。が、設計図本体に傷がつくとまずいので、設計図のコピーを作って、それをもとにタンパク質を作らせます。その設計図のコピーがRNAです。
今、コロナ感染予防のために打っているワクチンは、「メッセンジャーRNAワクチン」と言ってます。実はRNAにもたくさんの種類があって、タンパク質の情報を持っているRNAを 「メッセンジャーRNA」と言うのです。
今までは殺したウイルスとかウイルスの外側のタンパク質を体に打って、それに対する抗体を体につくらせる、それがワクチンでした。ところが今、日本で使ってるワクチンのうち、ファイザーとモデルナは両方とも、メッセンジャーRNAワクチンです。
これを人間の体に打って入れると、このRNA の情報を元に人間の体がウイルスのタンパク質をつくる。ウイルスの外側表面にあるタンパク質だけですから、ウイルスは増えません。でも、そのタンパク質に対する抗体ができる、だからワクチンとして働くのです。
DNAのコピーがRNA
もうちょっと詳しく説明します。人間だけでなく全ての生物は細胞からできています。それぞれの細胞の中の「核」という構造の中にDNAが入っています。ここでDNAからRNAがコピーされて、このコピーされた RNAが核の外に出ます。外にはタンパク質をつくる工場があって、RNAは、そこに行ってタンパク質の作り方を教えます。RNAは設計図だけで、タンパク質を作る材料はアミノ酸です。20種類のアミノ酸をRNAに指定された順序につなぐと、いろいろな働きを持つタンパク質ができます。
皆さんが高校に入ると習いますが、DNAの情報はA、T、G、Cという4文字で書かれています。RNA はTがUに変わっただけで、あとはほぼ同じです。A、T、G、Cやタンパク質の大きさは10億分の1メートルを単位とする大きさ。こんな小さなものです。こういうのが生物の働きの中心、基本になっているのです。
スイスで遺伝子に注目したタンパク質集合体の研究を始めた
DNAからタンパク質に至る過程の中で、RNA のA、U、G、Cの組み合わせが、どのようにしてタンパク質の中のアミノ酸の順序を指定するのかが、最後まで分からなかった。それが私の大学生時代に解けたので、私の世代の研究者は、次の問題に取り組むことになりました。
遺伝子DNAからタンパク質に至る過程がわかったので、次の問題は、遺伝子からどのようにして生物ができるかという問題です。遺伝子の指令で生物ができるまでには、タンパク質の後に、タンパク質集合体、細胞、組織、器官という段階があります。私は大学院時代に、その最初の段階、タンパク質集合体の大きさと形が何で決まるのかという研究に取り組みました。タンパク質集合体を細胞の中から取り出して、バラバラにしたり、くっつけたりして。高校の時まで考えていた「物理や化学の法則を使って生物を研究したらおもしろいんじゃないか」という発想を実際にやってみたのです。でも、この発想でできることには限界がありました。
そしたらスイスのバーゼル大学から助手にならないかという話があって、スイスで取り組んだのが、発想を少し変えて、タンパク質集合体の形や大きさが決まる情報はDNAのどこに入ってるのか、つまりどの遺伝子がどのようにして形や大きさを決めるのかというテーマです。
この写真の左が、私が留学したバーゼル大学の研究所で、ここから7、8分歩くと古い街に入り、バーゼルの市庁舎にぶつかります。バーゼル大学は1460年ころ、日本の室町時代にできたスイスでは一番古い大学です。
ファージの頭の大きさと尻尾の長さは、正確に決まっている
その時に使った材料がウイルスの一種であるファージです。これはバーゼル大学で、ファージを自分で培養、精製して撮った電子顕微鏡写真です。こちらがT4ファージ、こちらはラムダファージです。この写真のおかげで、他の人たちが私の力量を信用してくれました。外国人研究者と付き合ってみると興味は同じで、すぐに意見が合うようになります。でも「この人、どのぐらいできる人か」は、なかなか分からない。そこで、この写真を見せたら、すぐに信用してもらえました。
ファージは、頭の形や大きさ、尻尾の長さが、正確に決まっている。ラムダファージの尻尾は、タンパク質が6個集まった輪が、ぴったり32段重なっている。32段という数を決めているのは何か。頭の方もタンパク質が420個集まってできている。なぜ420個集まるのか、そういう問題を解いてみようと思ったんです。
細胞を乗っ取り増殖するウイルス
ちょっと脱線して「ウイルスとは何か」のお話をします。全ての生物は細胞を持っています。しかし細胞を持たず、生物の細胞に感染して増えるものをウイルスと言っています。動物細胞に感染するのは動物ウイルス、植物細胞に感染するのを植物ウイルス。細菌、つまりバクテリアの細胞に感染するのがファージです。ファージはバクテリオファージ、「バクテリアを食べるもの」という意味を持つ言葉の略称です。動物ウイルス、植物ウイルス、ファージのそれぞれに、たくさんの種類があります。今、私達が怖がっているのは動物ウイルスの中のコロナウイルスというグループの一種で、日本語では「新型コロナウイルス」と呼んでいます。
ウイルスというのはウイルスの遺伝子と、それを包む殻からできています。全ての生物の遺伝子は DNA ですが、ウイルスはちょっと変わっていて DNA が遺伝子のウイルスと、RNA が遺伝子のウイルスがあります。コロナウイルスの仲間はRNAが遺伝子です。インフルエンザウイルスも RNA が遺伝子です。もちろんDNAが遺伝子の動物ウイルスもたくさんあります。
ファージの形ができる経路
それでウイルスがおもしろいのは、この殻ができる順序が決まっていることです。
ラムダファージの頭や尻尾は、こんなふうな順序でできている。尻尾の遺伝子は10個ぐらいあって、尻尾ができるときに遺伝子が働く順番がきちんと決まっています。
皆さんがご飯を食べると分解された後、ブドウ糖になって最終的には二酸化炭素と水になるのですが、その代謝経路はきちんと決まっています。たくさんの反応が決まった順序で並んでいるのです。それと同じように、ウイルスができる順序も決まっています。
私がスイスにいる時、ラムダファージの尻尾がどういう順序でできるかを見つけ、研究者として信用されるようになりました。しかし頭の大きさや尻尾の長さがどうやって決まるのかは、スイスでは解明できませんでした。
タンパク質集合体の大きさ決定の解明に20年
3年後、日本に帰国して研究を続け、尻尾の長さを決める「物差し」となるタンパク質があることを突き止めました。どうやって証明したかと言うと、物差しタンパク質の遺伝子の長さを変えると、物差しタンパク質の長さが変わり、尻尾の長さが変わる。だから物差しタンパク質の長さが尻尾の長さを決めているという証明の仕方です。
これがラムダファージです。これは尻尾の物差しタンパク質を長くしたもので、これはどんどん短くしていったものです。こうやってウイルスの形を人工的に変えることができるようになりました。
頭の大きさを決める物差しタンパク質も探したんですけど、結局、物差しタンパク質が無いらしいことがわかりました。
仕方がないので、420個集まって頭を作るタンパク質の遺伝子を変えて、そのタンパク質の中のアミノ酸をいろいろと変えてみたんです。そうしたら、あるアミノ酸を変えると頭が小さくなることを見つけました。もともとの頭はタンパク質が420個集まったんですが、こちらは240個しか集まってない。タンパク質が集まる時のとなりどうしの角度で、頭の大きさが決まるらしいことが分かりました。
頭の大きなファージも作ってみたかったんですが、残念ながらできませんでした。でも、ここまで分かるのに約20年かかってます。本当にやりたかったことは、このファージの頭の大きさと尻尾の長さの仕組みの解明だったので、40歳の時に「あー、全部やっちゃったあ」という達成感を実感し、ファージの研究に一区切りつけました。
40歳から線虫の遺伝子研究に
それからは自分の好きな研究だけではなく、学生を教える教育も視野に入れて私の人生を切り替え、新しいことを始めました。シー・エレガンスという線虫を使って、どの遺伝子がどのように働くかを研究したのです。この線虫はすでにイギリスで研究が進んでいて、卵から成虫になるまでに細胞がどのように増えるかを追跡した研究者がいました。その結果、どの個体でも、細胞の数が959個で、神経細胞が302個と、きちんと決まっていることが知られていました。しかも電子顕微鏡で神経細胞のつながり方を全部決めた研究者もいたのです。だから、発生や神経系の研究に適した材料でした。
おもしろいことに、線虫は簡単な学習をします。ある匂いを餌と一緒に置くと、その匂いに敏感になって、効率良くその匂いに反応します。こうした線虫の学習には、どの遺伝子がどの細胞で働くのかを研究しました。
50歳から60歳にかけて、この線虫の話をいろいろな大学で集中講義したのですが、30時間、話しても話し足りませんでした。研究者は、新しい発見をし、さらに新しい問題を見つけて研究をしなければならない。だから、つらいこともあるんですが、楽しいこともある、それを続けるから研究者は認めてもらえているんです。
生命倫理や研究不正など、科学の周辺に新たな課題が
最後に科学の周辺についてお話しします。生命科学は20世紀後半から大きく発展し、さまざまなことがわかり、できるようになりました。しかし、問題も生じています。科学のまわりに新しい問題が現れたことをお話ししましょう。
一つは生命倫理の問題です。不適切な研究や医療から人間を守るために、倫理という考え方を取り入れなければならなくなっています。倫理が大きな問題になったのは生体心臓移植です。心臓移植では、脳死をした人の心臓を素早く取り出さないと移植には使えません。その時に、脳死は本当に死なのかという問題が提起されました。また、遺伝子操作が始まった時に、科学者自身が、そこにどんな倫理問題があるかという議論を始めました。
さらに1990年代ごろから研究で不正をする人が目立ってきました。ウソをついて、ごまかして論文を書くなど、常識では考えられないことが起きています。競争が激しくなると、他の人に勝とう、目立とうとする人が出てきます。研究費を自分のポケットマネーにしてしまう人もいる。
さらに新しい問題として、科学が進みすぎ、一般の人にとって科学のことが分からなくなってしまった。だから科学のことを分かりやすく伝える科学コミュニケーションの専門家が必要じゃないかと言われ、実際にそのような専門家が現れています。
科学では解決できない問題も
最後は「科学は何の役に立つのか」という問題です。
まず、科学は人類に新しい知識をもたらしてきました。もし研究が自由にできなくなり、新しい知識を得ることができなくなったら、これまでの知識を組み合わせ応用するだけで、新しい物を作っていけるのか、人類の大問題を解決できるのか、不安になるでしょう。基礎科学では、未だに、まだ分かってないことたくさんあり、それを解決するために研究を続けることが必要です。
また、科学の知識は他の知識と比べて確実性が高いので役に立ちます。たとえば、新型コロナの患者数が今後どうなるかは、科学で、ある程度予想できます。正確に当たらないかもしれないが、他の予想と比べて確実性が高い。しかも、科学はなぜ、そのようになるか、根拠も明らかにして議論します。だから科学的な考え方をすれば、多くの人の意見をまとめる土台になるんです。
そして、科学は文明を発達させて生活を豊かにしてきました。でも残念ながら未だに世界から戦争はなくなりません。つまり科学は万能ではない。科学では扱えない問題もあるんです。
芭蕉の俳句を例に、主観的な見方、客観的な考え方があるという話をしましたね。客観的なことでは科学は強い。けれど主観的な話になると、そんなに強くない。人間の心理を脳科学でもっと研究できるようになると、もう少し強くなるかもしれません。しかし人間はどう生きるべきか、という大問題になると、科学では決められません。
科学はずいぶん進歩したが、そのあと、次の世代をになう皆さんは、どうするのか。この問題を提起して、私の話を終わりにします。皆さんの中の科学者、研究者になりたい人にとって、そのイメージが少し豊かになったら、うれしいです。ぜひ夢に向かって進んでもらいたいと思います。
◇ 質問コーナー ◇
Q 5年 医者と研究者は、二つとも同時になれるんですか。
桂 先生 お医者さんで研究者の人はいっぱいいます。お医者さんで患者をみないで研究だけをしてるお医者さんもいます。患者を診察して研究もしてる人もいます。
Q 5年 私にとって桂先生は憧れの存在ですけど、その桂先生が憧れている生物学者はいるんですか。
桂 先生 ものすごくたくさんいるんですけれど、生物の研究という原点に戻ると、ギリシャ時代のアリストテレスという人です。地中海に潜って見た海の生き物のことが、彼の本に書いてあります。生物学に関する本がほとんどなかった頃に、自分の観察だけで、あれだけのものを書くのは、すごい人です。アリストテレスは万能の人で、AならばBで、BならばCであるときに、AならばCであると言えるという、三段論法の論理を完成した人もアリストテレスなんです。哲学者でもあり、すごい生物学者だったんです。
現代ではノーベル医学生理学賞を受賞した山中伸弥さん。論文が出た時にすぐ読んだんですけれど、すごいなと思ったんです。考え方も非常に素直で素晴らしい人です。同じノーベル医学生理学賞をもらった大隅良典先生は、実は私は一年間、助教授時代に同じ部屋で実験をしていました。ですから、良く知ってるんですが、ものすごく良い研究をした人です。
Q 4年 桂先生は、今、研究してみたい生物とかはあるんですか。
桂 先生 最後に研究した線虫は、調べてみたいことがたくさんありますが、そこはじっと我慢して、もう若い人に任せようと考えています。今は家の近所にどういう動物や植物がいるのか、というのを小学生レベルで調べて、おもしろいと思っています。最初に話をしたアユについても続きはやってみたいです。
Q 6年 どのような本を読んでるんですか。
桂 先生 今、読んでる本は、高校の同級生が書いた随筆の本と、自然科学とは関係ない「文章の書き方」の本です。私は国語が苦手だったんですが、大学で教えるようになると、研究費の申請書とか報告書とか、書類をたくさん書かなくてはいけなくなって、文章を書く訓練をしました。その続きで、まだ国語を勉強してます。それから生物の学名はラテン語なので、ラテン語も少し勉強を始めました。いろいろ乱読です。
(文責=横川和夫 写真=島村國治)