2019年度(令和元年度) 第3回授業

2019年度・子ども大学かまくら第3回授業

「危険は降ってくるが安全は降ってこない」

 

講師 向殿 政男先生(明治大学名誉教授)

 

2019年11月24日(日)  鎌倉商工会議所ホール

 

  

(授業レポート)

 

 

安全はみんなでつくる 


 今日の題目は「危険(きけん)()ってくるが安全は降ってこない」という変な題です。この前、工事中のビルの上からパイプが落ちてきて、通行人に当たり、()くなる事件が起きました。そうした事故をどのようにして防ぐか、という安全管理の問題に私は取り組んできました。

 

皆さんもお父さんやお母さんに、「(あぶ)ないから注意しなさい」と言われて、育ってきたでしょう。しかし、大きくなっていくと、だれも面倒(めんどう)を見てくれなくなります。逆に自分自身で自分を守らなければならなくなります。安全は降ってはきません。皆でつくるんです。

 

 

安全につくられていても、安全ではない 

これは幼児(ようじ)が出会う危ない例です。お湯を出す湯沸(ゆわ)かし器ですが、熱いお湯が出てくるので、危ないから注意しなければなりません。タンスの引き出しを積み重ねていくと、バランスが(くず)れて(たお)れ、下敷(したじ)きになります。歯ブラシを口にくわえて走って転ぶと、歯ブラシの()(のう)()()さることもあります。

 

実際に事故は起きています。機械式の立体駐車場(ちゅうしゃじょう)で、子どもが遊んでいるのを知らずに、お母さんが車を出そうとしてボタンを()して、子どもがはさまれてしまった。交差点で緑の信号のため横断中に、ブレーキの利かない車が()()んできて、ひかれてしまった。流れるプールの排水(はいすい)(こう)のフタを留めていた針金(はりがね)(くさ)っていたため、突然(とつぜん)、外れてしまい、近くで泳いでいた子が()い込まれてしまった。このように仕組みや構造が安全につくられていても、安全でないことが街にはたくさんあります。

 

事故はどこでも起きる

危険は大きく3つの種類に分けられます。1つは台風、地震(じしん)などの自然災害、2つ目は誘拐(ゆうかい)泥棒(どろぼう)など悪い人間がすること、3つ目が配慮(はいりょ)や考えが足りずに起きる事故です。今日は、この人間のミスや失敗して起きる事故についてお話します。事故は家庭でも起きます。

 

例えば小さい子どもが間違(まちが)えてタバコや電池を飲んで、食道や胃に(あな)があいたりします。お風呂(ふろ)でおぼれる子も多いです。ライターで遊んで火事になる。小さい子どもがオモチやこんにゃくゼリーを食べてノドを()まらせる事故もありました。

 

街のなかでは、ビルの回転ドアやエレベーターに(はさ)まれて()くなった子どもや高校生もいます。エレベーターの事故には3つのパターンがあります。①ワイヤーが切れる。②ドアが開いて乗ろうとしたが箱がないので、人間が落下する。③ドアが開いたまま箱が動いてエレベーターの箱と入口の間に人間がはさまれる。

 

 

事故には発生するプロセスがある

事故を分析(ぶんせき)していくと、事故が発生する原因、プロセスが必ず出てきます。それは①人間の間違(まちが)いや失敗②機械の故障(こしょう)など技術的な問題③制度やルールが不十分のため、の3つです。

 

皆さんが親に「危ない」と言われたときは、近くに危ないものがあるからです。その時に、ヒヤリとして、ハッとする。「ヒヤリハット」と言いますが、それで事故を回避(かいひ)することができます。

 

 英語では、危険を回避することができた事故を「インシデント」、回避できずに事故にあうことを「アクシデント」と区別しています。しかし日本語では、その区別がありません。

 

 しかし事故は必ずステップを()んで起きることを頭に入れてください。

 

げるのが一番

 

 

それではどうやって事故を防いだらよいのでしょうか。一番いいのは危険なところに近づかないことです。もう1つは停止の安全、つまり危ないところに近づくときは、機械などの動きを止めちゃうことです。工場ではロボットがものすごい勢いで動いています。近づくと危ない。どうするか。ロボットの動きを止める。これを停止の安全と言って、工場の安全が保たれています。

 

さらに人間がミスをしないように工夫する。設計ミスをしない。安全装置(そうち)をつける。事故が起きる前に警告(けいこく)を出すように工夫する。こうしたことを徹底(てってい)するためルールや法律(ほうりつ)をつくって、お(たが)いに守るなどの努力をすることで、事故を防ぐことが可能です。それでも事故は起きます。

 

そういうときは、()げることです。火事になって家が燃えたときは、逃げるしかない。消そうとか、大事なものを取りに(もど)ったりしてはダメです。

 

 

包丁は安全か、危険か 

少し難しい話をします。そもそも安全とは何かということです。危険や心配、そして損害がない状態のことです。危険は目に見えるけれど、安全は目に見えないんです。だから定義は難しい。

 

包丁は安全か、危険か。安全と思う人はいますか。うーん。だれもいませんね。その危険な包丁をお母さんは毎日使っています。使わないとお料理ができません。だから危険だけれど、手を切らないように注意して使っています。つまり安全というのは、使う人や時代や条件によって、受け止め方が違います。包丁を使って、うっかり手を切ってしまった。でも包丁のメーカーを(うった)えることはしません。包丁は危険というリスクがあることを知ったうえで、使っているからです。

 

法律(ほうりつ)やルールをつくったから、全て安全かというと、そんなことはあり得ません。専門的には「リスクゼロなんかない」という言い方をします。

 

許容不可能なリスクがないこと」が安全 

世の中には何をやってもだいじょうぶというものはありません。何かをやれば必ず危険がともないます。楽しい、便利だ、有益だというものにも危険がある。歩けば転ぶ。電車に乗れば衝突しょうとつする危険もある。安全は、そのバランスで成り立っているんです。専門的にはリスクと言いますが、そのリスクをみとめ、許容し、受け入れましょう―というのが安全の定義です。

 

安全とは「許容不可能なリスクがないこと」という難しい定義が国際的に決められています。許容する、つまり包丁は危ないものと分かったうえで、使う自信があるときは許容可能です。その自信がないときは許容不可能となる。小さい子どもが包丁を手にすると、何が起こるかわからない。人をきずつけるかもしれない。それは許容できない。受け入れられない。危ない。だから安全でない、ということになります

 

 

(休憩)

 

フェールセーフとフールプルーフ 

後半は、私の専門(せんもん)である「技術で安全を守る」について(くわ)しくお話します。

 

フェールセーフという言葉を覚えてください。これは機械設備が(こわ)れても、人間は安全であるようにつくる、という意味で使っています。例えば踏切(ふみきり)の原理がフェールセーフです。

 

踏み切り遮断機(しゃだんき)の停止(ぼう)は、レールを通して流れる電力のはたらきで、いつも上に上がっています。列車が近づくと、電流がストップするため、停止棒は支える力が失われ、下に下がる仕組みになっているのです。つまり電力が通じなくなる、故障すると、遮断機が下がる仕掛けです。

 

フールプルーフという言葉もあります。人間は間違えるものだ、という前提で機械などを設計する考え方です。典型的な例は、電池を使う製品は、プラス、マイナスを間違えると、電池が入らない構造になっています。病院の点滴(てんてき)するチューブも、つなぎ方を間違えたら、違った薬が患者(かんじゃ)さんの身体に入っていき、大変なことになります。だから間違わないように、つなぎ目を▽と▽にしたりして、間違えたらつながらないようになっています。

 

 

 危険検出型より安全確認型 

このフェールセーフとフールプルーフの基本になっているのが、危険検出型と安全確認型という安全に対する考え方です。

 

危険検出型は、工場でロボットが動いている場所に人間が近づくと、センサーがキャッチしてロボットの動きを止めます。ところがセンサーが故障すると、ロボットは止まらずケガをします。安全確認型は、人間がいないときにセンサーが動いていて、人間の姿をキャッチするとセンサーが止まる、つまり逆の発想になります。別な言い方をすると、危険検出型は、安全装置が壊れると危険側になり、安全確認型は、安全装置が壊れると安全側になるということです。

 

 

 ハイボールの原則 

その例をもう1つ。ハイボールの原則です。ハイボールはウィスキーを炭酸で()った飲み物です。昔、電気がなかった時代、英国では駅の信号は、ボールでした。ボールが上に上がっている(ハイボールの状態)と、列車が入ってくるシステムです。待合室の乗客はウィスキーを飲みながら列車の到着(とうちゃく)を待っています。ボールが上がると、ウィスキーに炭酸を入れて飲みやすくして一気に飲んでホームに行く。つまり信号とハイボールは、切っても切れない関係にあったのです。

 

電気がない時代ですから、ボールを上に上げるには、ひもで引き上げる、エネルギーが必要です。安全であることを示すには、エネルギーが一番高い状態にするのが安全の原理、つまり大原則です。ひもが切れれば、ボールは落ちて安全を示せません。こうした原理、原則が信号や自動車、航空機など、あらゆるところにある安全装置(そうち)に適用されているのです。

 

大きなリスクから対応する 

危険が伴うことを英語でリスクと言います。リスクにも大きなリスクから小さいリスクまで、さまざまです。これにも原則があります。小さいリスクは残してもよく、大きいリスクから対応していくことです。

 

「危ないから」と、子どもに小刀を持たせない親は、トーレーニングのチャンスを(うば)うことになります。小さいリスクを残して体験させることで、大きなリスクを()ける発想が大切です。

 

子どもや高齢者(こうれいしゃ)は毎日、状態が変化していきます。前日まで寝返(ねがえ)りができなかった乳児(にゅうじ)が、翌日(よくじつ)、寝返りを打ってベッドから落ちる。1年前のお正月にはオモチが食べられたのに、1年後のお正月にはオモチでノドを詰まらせる高齢者もいます。乳児や高齢者にとっては親だけでなく周囲の人たちによる見守りが安全のために大切です。

 

 

安全に対する信頼しんらい感が安心に

 

日本では安全教育が不十分です。人間が幸せになるためには健康でなければなりません。健康には安全が必要です。つまり安全が幸せの前提条件になるのです。

 

最後に安全と安心の関係について説明します。安全は、科学的、技術的に世界のだれもが共通理解できますが、安心は日本独特の発想です。安心するためには安全に対する信頼感が必要です。原子力発電所が安全だと説明されても、信頼感がないと、安心できません。

 

安全には制度、技術、人間の3つが大切で、安全は皆でつくるものです。


◇ 質問コーナー ◇

 

Q.4年生 なぜ、先生は安全の追及(ついきゅう)をしようと思ったのですか。

向殿先生 実は私が子どものころ、かくれんぼうをして遊んでいた妹が、トラックにひかれて亡くなったのです。これはおかしいではないか。安全は皆でつくらなければならないと、また同じような悲劇(ひげき)が起きる。大学に入って鉄道の安全、製品、機械、原子(げんし)()の安全問題に取り組んできました。その根本には、事故で人間が死ぬのを止めようという気持ちです。

 

Q.4年生 先生は危険にあったことはありますか。

向殿先生 いろいろな危険な目に()いましたが、切り()けて、今、生きています。一番危なかったのは自動車の運転で、自分がいくら注意して運転しても、ちょっと間違えただけで歩行者を殺すことになります。私も本当に危ない目にあいました。車が反対車線から飛び出してきて、よけたら一回転して止まったけれど、危なかったですね。人間は間違えることが多いので、早く自動運転になればよいと思っています。

 

Q.6年生 自動車事故以外に危なかったことはありますか。

向殿先生 大学生の時に、山で沢登(さわのぼ)りをやっていて、うまくはないのに、無理をしたら、上に登ることも下に降りることもできなくなって、どうしたらよいか、窮地(きゅうち)(おちい)りました。結局、横にトラバースして脱出(だっしゅつ)できました。何かする時は行き当たりばったりではなく、下調べなどの事前準備の大切さを実感させられました。   (了)

 

 

(文責=横川和夫、写真=島村國治)