2018(平成30)年度子ども大学かまくら第3回授業
「海辺の美術館に遊びにゆこう」
講師 水沢勉先生 神奈川県立近代美術館館長
2018年9月8日(土) 鎌倉生涯学習センターホール
(授業レポート)
葉山の海のそばにある神奈川県立近代美術館についてお話したいと思います。好奇心を全開にしてぼくの話を聞いていただければうれしいです。
日本で最初の公立近代美術館
2年前までは鎌倉・鶴岡八幡宮の平家の池に面したところにありました。その建物は1951年に建てた日本で初めての公立近代美術館(鎌倉館)だったのです。当時は、第2次世界大戦で日本が負けて、連合国の支配下にありました。そういう時代に美術館を建てて、もう一度、自分たちの文化を守って、育てていこうという強い思いで生まれたのです。その意味では、その1年後に開館した東京にある国立近代美術館(開館時は京橋にあったのですが、現在は竹橋に建物はあります)よりも大事な意味のある美術館です。残念なことに建物の老朽化などのため2年前の2016年に、神奈川県としては閉館せざるを得なくなりました。朝の光のなかでテラスの天井に写る池の美しい輝きを忘れられません。
まずは美術館紹介のために作ったビデオをご覧ください。
(約15分間上映)
イサム・ノグチのこけしの彫刻
このビデオは11年前に制作したものですが、それからの11年間に起きた大きな出来事に気が付いた人がいますか。それはこの1枚の写真に示されています。
鎌倉館の中庭にあった彫刻のこけしの石像が、葉山の美術館の中庭、真ん中のグリーンのサークルに移動したことです。
このこけしの彫刻は、イサム・ノグチの作品で、鎌倉館が開館した1951年に制作されました。イサム・ノグチは、日本文化の深い理解者で、その日本文化を、現代に生きる私たちに、より身近で親しいものにするには、どうしたら形や色、立体物で表現できるかを、ずっと考え続けてきた人なんです。
激動の時代に平和のシンボルとして
なぜかと言うと、彼はアメリカ人でもあり、日本人でもあるため、その2つの国の間で迷子になっていました。それならば2つの国をつなげるような作品をつくればいいと深く念願した人だったのです。
その彼は1951年に、一世を風靡した女優、山口淑子さんと結婚して鎌倉の山崎に住んでいました。しかし結婚はわずか5年で長続きしませんでしたが、2人が結ばれたこの密かな記念碑が、このこけしの彫刻だったのです。結婚した1951年は、鎌倉館が開館した年だけでなく、朝鮮戦争が始まった年でもあります。その激動の時代に、平和を求めて、日本文化を再スタートさせたシンボル的な彫刻でもあるのです。
世界でも珍しい海辺にある美術館
このこけしの彫刻があるグリーンのサークルから山側の方向に、20世紀を代表する日本画家、山口蓬春さんのアトリエがあります。記念館として公開されています。美術館から歩いて5分。庭が実にすばらしく、日本画家は、自分が描く花を、こんなにていねいに育てているんだと驚かれるでしょう。
葉山の美術館は海岸に近いので、サクラやコブシの花は潮風のため咲きません。しかし山口蓬春さんの庭に行くと、小さな花がたくさん植えてあります。気候や自然条件の違いで、空間がこんなに違うのかもわかって、おもしろいです。
美術館の休憩室から外に出ると庭が斜面になっていて、ぐるりと回ることができます。一色海岸が目の前に広がっています。海がこんなにそばにある美術館は、世界中にはデンマークのルイジアナ美術館以外には、そんなにありません。
(休憩)
彫刻のある美術館に
葉山の近代美術館がオープンした2003年には、彫刻は庭にはありませんでした。2年前、鎌倉館が閉館したため、イサム・ノグチのこけしが葉山に移動してきました。それがきっかけで、彫刻に飾られた彫刻美術館にもなっていったのです。
優れた美術作品は、それほど周辺の雰囲気を変えていくのです。斜面にある彫刻家、山口牧生さんの黒御影石を磨いて作った彫刻もそうです。横幅3メートル、重さ7トンもあり、運ぶのもクレーン車を使ったりして大変でした。
小さな子が上に乗ったり、触ったり、寝たりしています。山口さんは、人に触ってもらって作品は完成すると考えています。なかには「こんな訳のわからないもの置いて」と足でけ飛ばし、足を傷めてしまったひとがいるとのことです。彫刻が怒ったのですね。美術品の扱いは、それが自分だと思えばどう感じられるか想像してていねいにすべき、と言われています。
美術館で見た作品をメモする
彫刻を展示するのは、なかなか、おもしろいんです。彫刻を、いかにもあって当然という場所に置くと、だれも気が付かないんです。鎌倉駅前にある彫刻は、近くに何十年も住んでいる人に聞いても、「そんな彫刻あったかな」という返事が戻ってきます。彫刻は、どこかちょっと違う、気になるような仕方で置くことが大切なのです。
皆さんが美術館に行ったら、気に入った作品をスケッチし、作家の名前を書いておく。さらに見た場所、どんな状態で飾られていたか、光や照明の具合などもノートにメモしておくとその作品を絶対に忘れません。ルーブル美術館に行くと、モナ・リザの絵をスマホで撮っている人がたくさんいますが、写真に撮ると、その作品の画像は覚えても、まわりの状態はすぐ忘れてしまいます。
葉山の美術館には彫刻マップがあります。どこにどんな彫刻が置いてあるか、わかります。ぜひ見てください。
イラン人の彫刻家が作った水飲み
正面入口近くの木立のなかに、ホセイン・ゴルバさんというイラン人の彫刻家が作った水飲みがあります。美術館ができたときに小学生の男の子から「のどが渇いたのに水飲み場がありませんでした。」という投書が来ました。
当時の館長と相談して、「芸術家が水飲みをつくってくれるといいね」と探したら、イタリアの公園にゴルバさんが作った水飲みがありました。偶然にも彼は日本に住んでいて、連絡したら、その作品が残っていたので、その1つを購入して、設置したのです。彼は葉山から見える富士山の形をした蓋まで作ってくれました。芸術家は常に作品を置く場所や空間にふさわしいものを考えているのです。ぜひ美術館に来て、自分の目や体で、彫刻とその置かれた場所のハーモニーを感じてください。
◇ 質問コーナー ◇
Q.5年生 一番印象に残った作品は
水沢先生 全部好きです。どれが一番というのはないです。芸術作品には順番はありません。
Q.4年生 近代美術館で一番大変だったことは
水沢先生 1978年に美術館に就職したんですが、学芸員の仕事がよく分からなかった最初の5年間が一番大変でした。家に帰ると倒れ込むように休んでいました。
Q.4年生 何がきっかけで美術館で働こうと思ったのですか
水沢先生 9歳のとき、上野の博物館での展覧会で、女性の裸の彫刻、頭と両手足のない胴体だけの彫刻、トルソーを見たとき、世の中にこんな美しいものがあるのかと感激しました。それからは、両親にねだっては展覧会を見に行き、帰りたくないと、いつまでも見ていました。学芸員の仕事を知ったのは高校生になってからですが、子どもの時から美術館、博物館が好きでした。
Q.4年生 美術館には何作品ぐらい展示されていますか
水沢先生 展示できる作品は、展覧会ごとに違います。400点もあれば1点ということもあります。でも平均すると100点か200点。大きい美術館だと500点ぐらい置いています。ぼくの体験から、1回に見られる限度は100点です。100点以上だったら午前と午後に分けて見る。ルーブル美術館のように何千点も並んでいたら、最低でも3日は必要ですね。1週間かけて見る人もいます。いずれにせよ、最初はゆっくり見ることを心がけたほうがいいです。
Q.5年生 鎌倉と葉山の美術館の倉庫には何点ぐらい作品がありますか
水沢先生 数え方によっても違いますが、合計して2万点近いです。
Q.5年生 先生が世界で一番いいなと思った美術館は
水沢先生 鎌倉館のテラスは、世界の美術館のなかでも一番かもしれませんね。平家の池の水面が、テラスの天井に反射してキラキラしているのは実に美しいですね。
Q.6年生 毎日、美術作品を見ていて、飽きないですか
水沢先生 絶対に飽きないです。同じものを見ていても、いい作品だと毎日違うように見える。本当に違うんです。だから本当に飽きません。
Q.5年生 美術館の仕事を辞めたいと思ったことは
水沢先生 しょっちゅうです。理想的なテーマの展覧会でありながら、作品をうまく集められなくなった時などは、本当に絶望してしまいます。結婚と似ているかもしれませんね。好きなんだけれども、いろいろな事情で結婚できないこともあるでしょ。そんなときは、やめたくなったなあ、と思います。でも何とか立ち直るんですけど、よくあります。
Q.5年生 先生が一番感動したことは何ですか
水沢先生 結婚後1ヶ月して、大学院の修士課程で論文を書いていたとき、アパートの下に捨てられた子ネコがいた。それも父ネコにかまれて、血だらけになっていたんです。そのアパートではネコを飼うことは禁止されていたけれど、妻と一緒に、死にそうになっている子ネコをこっそり飼って、ミルクを飲ませたりしました。けれど便が出ない。綿棒でおしりを洗ってあげると、便をするわけ。大きくなって「ポコちゃん」と名前をつけてかわいがっていたけれど、妻が妊娠したのでネコと暮らすのは無理になり、妻の実家に引きとってもらったんですけど、ポコちゃんが死なないですんだということが、ぼくの人生で一番感動したことかな。(了)
(文責=横川和夫 写真=島村國治)