2017(平成29)年度 第1回授業
「ヨーロッパのお墓の不思議」
講師・養老孟司先生
子ども大学かまくら学長、東京大学名誉教授・解剖学
5月13日(土)午後2時
鎌倉生涯学習センターホール
(授業リポート)
ウマノオバチの写真からスタート
茨城県・牛久に住む友人から送られてきたウマノオバチ、昨年の台湾旅行で撮影したフンコロガシの写真を映しながら授業はスタートした。
「シロスミカマキリに卵を生むため、ウマノオバチのしっぽは長くて10センチもあります。この2匹のフンコロガシが押しているフンの玉はまんまるで、ちょっとおどしたら別れちゃった」
次に映し出されたのは1500万年前の日本列島の地図。
「当時の関東は、千葉、秩父など三つの島で、あとは海。中部地方、紀伊半島も独立した島だったんです。これは虫を調べていくと同じような地図になるんです」
ペトロのお墓の上にバチカン市国
今回のテーマの「ヨーロッパのお墓の不思議」は、イタリアのお墓の話から始まった。
「これは有名なローマのアッピア街道。2000年前にこういう道路がつくられている。なぜか。一つは馬車を使っていたから。日本では平安時代になって、牛が車を引いていた。ヨーロッパでは馬をおとなしくさせるために去勢していたけれど、日本にはその技術がなかった、か、あってもかわいそうだからやらなかったか、のどちらかです」
そのアッピア街道にクオ・ヴァディス教会という小さな教会がある。
「キリストの弟子の一人、ペトロがキリスト教を広めるためローマにやって来た。しかし迫害にあって逃げた。アッピア街道を歩いていたらキリストが現れた。『クオ・ヴァディス』(主よ、どこに行かれるのですか)とたずねたら、『お前が十字架にかからないなら、代わりに私が十字架にかかろう』と。それを聞いてペトロはびっくりしてローマに戻り、殉教します。そしてペトロのお墓の上に建てられたのがバチカン市国です。クオ・ヴァディス教会には、キリストが残した足跡が大理石に刻まれ今も残っています」
ラオス、ブータンにはお墓なし
次に映し出されたのは大きな建物。
「これがローマ時代の貴族のお墓です。ところが世界中を旅行するとお墓のない国はいくつもある。東南アジアのラオス、ブータンでは、遺体を焼いて、その灰をまいちゃうんです。なぜか。輪廻転生と言って、死ぬとすぐに他の生き物に生まれ変わる。だからお墓は必要ない」
「ブータンに最初に行ったとき驚いたのは、食堂でビールの入ったコップにハエが飛び込んでしまった。一緒にいたブータンの人がビールに指を突っ込み、ハエをつかんでフッと逃がしてやった。そして私の顔を見てニヤッと笑って、『お前のおじいちゃんかもしれないから』と言ったんですね」
ヨーロッパの土はアルカリ性
ローマの高級ブティックが並ぶベネト通りに有名な「骸骨寺」と呼ばれる教会がある。1626年に建てられた教会には、4000人の修道士の骸骨が5つの部屋に収められている。それも壁や天井の装飾として飾られている。
「こういうようなことをヨーロッパの人たちはする。それが不思議でならない。どうしてこんなことをするのだろう。ヨーロッパの街を歩くと、どこにもこういったものがあるんです」
その理由の一つは、日本の土は酸性で、骨は土に埋めると100年もたつと、とけて土になってしまう。ところがヨーロッパの土はアルカリ性で骨はとけない。だから骨の処理の仕方が工夫された。
「しかし鎌倉は土が酸性ではないので骨だらけで有名です。昔から鎌倉は人口が多く、たくさんの人が死んでいます。火葬にしたら山の木が切られ、みんなハゲ山になってしまうので穴を掘って埋めた。江戸時代に一の鳥居の近くからたくさん骨が出てきたので九品寺に収めた。私が東大にいたとき、その下を掘ったら、さらに990体以上の骨が出てきたので東大の博物館に入っています。日本ではその骨を飾ったりしませんね。飾ってあればおもしろいんですが」
戦死した人たちは何と言うだろう
イタリアでは最大の工業都市ミラノでも教会には、骸骨が飾ってある。1859年にイタリア独立戦争で、1日で4万人もの死傷者を出したソリフェリーノの教会にも、骸骨の頭がきれいに並べて飾ってある。
「たぶん、戦争をした人たちはこんな姿になるとは思っていなかったでしょう。この戦いの翌日に現地を訪れたのがスイスの実業家、アンリ・デュナンで、あまりにもひどいので、こんなことをしてはよくないと訴えてできたのが国際赤十字です。この街には赤十字の記念碑がいくつもあり、私が訪れたとき、教会には赤十字富山の旗が下がっていました」
「その近くには同じような教会があって、同じように骨が飾ってある。不思議だと思わない。こういう人たちが生き返っていろいろ言ってくれるとしたら、何と言うだろう。ミサイルとかいろいろやっているけれど、いい加減にやめたら。いつまで遊んでいるんだ。骨を見てごらん。いろんな人に見せたほうがいいと思っていますけどね」
(文責・横川和夫、写真・島村國治)