「歴史をたずねる―掛け軸にふれて」
指導 国宝館学芸員 浪川幹夫先生
日時 2016年8月3日(水)9:30~11:45
場所 鎌倉国宝館(鶴岡八幡宮境内)
(学習リポート)
夏休みの体験学習Aのねらいは、古都鎌倉の文化財に触(ふ)れる体験を通して、歴史を読み解く意味や文化財の扱(あつか)い方、そして学芸員の仕事に目を開いてもらうことです。10人の学生(4年生4人、5年生6人:男子5人、女子5人)が参加しました。
最初に一般(いっぱん)公開されている特別展(てん)「仏像入門~ミホトケをヒモトケ~」と平常展「鎌倉と仏像」で展示(てんじ)されている仏像などを見た後、実習室で掛け軸(かけじく)の扱い方を体験し、最後に江戸(えど)時代につくられた鎌倉の古地図を見せてもらいました。
関東大震災(しんさい)の後に開かれた国宝館(こくほうかん)
鎌倉国宝館は関東大震災後5年後の1928年に開館しました。被害(ひがい)を受けた鎌倉の社寺が所蔵(しょぞう)していた多くの仏像や歴史的美術品、古文書などを預かって保管・展示してきました。まさに鎌倉の歴史・美術の中心となる博物館なのです。
閻魔(えんま)王が裁(さば)き、お地蔵(じぞう)さまが救ってくれる
公開の特別展と平常展示を浪川先生に30分ほどで案内いただきました。平安時代や鎌倉時代に造られ、鎌倉のお寺に伝来する如来(にょらい)や菩薩(ぼさつ)などの多くの仏像に加えて、十二神将(じゅうにしんしょう)や政治を動かした北条氏の武将(ぶしょう)の像などが、展示されていました。それらの特徴(とくちょう)として、表情やしぐさが非常にリアルに表現されているという。学生達は「閻魔(えんま)王の怖(こわ)い顔つき」に驚(おどろ)き、地獄(じごく)に落ちた罪人の霊(れい)に救いの手をさしのべてくれるお地蔵さまに関心を示していました。
博物館展示室の中は冷え過ぎ?
10時過ぎには展示室を出て、掛け軸を扱う実習室に移動しました。まず、先生から「展示室は真夏なのに冷え過ぎていませんか?」との質問。そして、「文化財を保存(ほぞん)し未来に残してゆくためには、一定の室内環境(かんきょう)が必要なのです。国が定めている博物館の展示室の温度は22℃、湿度(しつど)は55%、照明の明るさは150ルクスですので、夏は冷え過ぎということになります。この室内環境を保つために年間1千万円ものお金がかかるのです」との説明がありました。学生達の予想をはるかに超(こ)えた金額でした。
掛け軸を出して/しまう体験を一人ひとりが・・・
実習室には壁面(へきめん)に金具のフックがあり、その前の床面(ゆかめん)にはゴザが敷(し)かれ、桐箱(きりばこ)と矢筈(やはず)が置かれていました。まず、開始前に全員、手を洗(あら)い周囲の椅子(いす)に腰(こし)を掛けて見守ります。
先生が、桐箱から「魚籃観音(ぎょらんかんのん)」が描(えが)かれた掛け軸を取り出しました。その掛け軸の巻(ま)きを少しゆるめ、掛け緒(お)に矢筈(やはず)を掛けて、壁の前に立ちます。矢筈で掛け緒をフックに掛け、ゆっくりと軸の両端(りょうはじ)を両手で持ちながら静かに軸を巻き下ろしてゆきます。このようなとき「白い手袋(てぶくろ)を掛けて扱うというのは間違(まちが)えで、手を滑(すべ)らせることもあるので、よく手を洗って皮膚(ひふ)の手触(てざわ)りを使って扱うことをすすめます」とのこと。さらに掛け軸をしまうときは、軸の両端を両手で持ち少し持ち上げた状態でゆったりと巻き上げ、胸(むね)の辺りまできたら、軸の中央を片手(かたて)で持ち、もう片方(かたほう)の手で矢筈を掛け緒に掛けてフックから外します。掛け軸と矢筈を床面に静かに寝(ね)かせ、矢筈を外したら、両手で軸を最後まで巻いて行きますが、巻き具合を加減することで、“竹の子巻き状態”になっても直してゆくこともできるとのこと。
これを見せてから学生達に掛け軸の出し方/しまい方に一人ずつ挑戦(ちょうせん)してほしいとして先生が呼(よ)びかけましたが中々手を挙げる子がおらず、ようやく一人が前に出て、先生の手助けで掛け軸を出して壁に掛けることに成功します。すると次第に挑戦者が増えはじめ、先生の助けも必要なくなり、1時間を経ても、繰(く)り返しやって見たいという学生達が後を絶ちませんでした。掛け軸の扱い方にすっかり上達していました。
大きな掛け軸の古地図を読み解く
11時20分頃(ころ)に、別の部屋に移動すると、正面の壁に江戸時代に作られた鎌倉の大きな古地図が掛けてありました。佐助(さすけ)から扇ガ谷(おうぎがやつ)あたりの地形と道路や田畑などの土地利用の状況(じょうきょう)が描かれています。社寺の名前も明記され現在の社寺数よりもずっと多いこともわかります。この図に鉄道の横須賀線や、小中学校の位置を重ね合わせて、歴史を振り返ってもらいました。おそらく江戸時代のこの集落地域(ちいき)を管理するための地図とみられるという。学生達からは鶴岡八幡宮や長谷の大仏の位置についての質問やこれよりもっと大きな掛け軸を鎌倉ではみられるかどうかという質問が出されました。大きな掛け軸については建長寺などで見られる機会があると説明いただいきました。
すべてのプログラムを終えて、終了(しゅうりょう)したのは11:45頃でしたが、3、4人の学生達はもう一度展示室に向かったのでした。
以上
(文責 中村和男; 写真 島村国治)