2016年度(平成 28年度) ゼミ学習 B 要約レポート
テーマ「大震災について体験から学ぼう」
東日本大震災(しんさい)を経験し、いま南海トラフ大地震(じしん)や南関東大地震などへの備えが求められる中、過去の大 震災への(模擬(もぎ))体験を通した防災への知恵(ちえ)を自ら獲得(かくとく)しよう。
◆指導:中村和男先生(子ども大学かまくら事務局長、長岡技術科学大学名誉教授)
協力(第 3 回):浪川幹夫先生(鎌倉国宝館学芸員)
◆開催日時および場所:
第1回 10/22(土) 15:00-16:30<現地での学習時間> 横浜市民防災センター
第2回 11/ 5(土) 14:00-16:00 NPO センター鎌倉
第3回 11/19(土) 14:00-16:00 鎌倉市由比ガ浜/長谷地域の徒歩ツアー
◆受講者: 学生 10 名(4 年生=5 名、5 年生=3名、6 年生2名)
(学習リポート)
ゼミ学習 B 第1回 サブテーマ「大規模地震などの模擬体験」
欠席者1名を除(のぞ)く9名の学生が鎌倉駅西口時計台前に13:40に集まり、鎌倉から横浜へ電車で移動し、 横浜駅西口から徒歩 10 分程で横浜市民防災センターに着いたのは、14:40 でした。学生達は、予定の体験ツアーが始まる前に、丁度始まったハローウィン・イベントのクイズに応募(おうぼ)するためのコーナーを 10 分程度めぐることができた。
迫力(はくりょく)ある映像(えいぞう)と音で横浜をおそう大地震を再現
私達学生とスタッフ 12 名以外に一般(いっぱん)市民の方を含(ふく)めて 30 人ほどのグループで体験ツアーをすることになった。最初の 災害シアターでは、相模トラフによる M8.1 の大地震に遭遇 (そうぐう)した時の電車やビルの揺(ゆ)れ、倒壊(とうかい)、火災、崖(がけ)の崩落(ほうらく)、ライフラインの停止そして大量の帰宅(きたく)困難者(こんなんしゃ)の発生などを大迫力の映像と音で体験した。ツアーガイドからは想定される大震災の発生確率、災害死者数、避難(ひなん)生活状況(じょうきょう)などの説明もなされた。
東日本大震災の揺れ方を地震シミュレーターで体感
地震シミュレーターの振動(しんどう)台は震度(しんど)7までの揺れ方を再現できるという。台上では、手摺(てすり)にしっかりとつかまれるようになっている。グループは半分に分かれて、関東大震災と東日本大震災の地震波形を模擬した震度7の揺れを、それぞれ体験した。目の前のスクリーンの映像とともに、1分間続く上下左右の衝撃(しょうげき)的な揺れは、学生達だけでなく付添(つきそい)の大人達にとっても初めての感覚であった。あわせて高層(こうそう)ビル上階で起きる長周期振動もオフィス空間の映像とともに実感することができた。
突然(とつぜん)の大災害の発生時にどんな対応行動がとれるのだろうか?
その部屋(減災トレーニングルーム)では、前もってどんな災害が起こるか分からない。「大地震が起きました」とアナウンスがあり、まもなくやってくる大地震に対して緊急行動を模擬的にとることが求められた。1人の大人が即座(そくざ)に玄関(げんかん)の扉(とびら)を開け放ち、学生達はテーブルの下に屈(かが)みこんで身の安全の確保を図った。その後、揺れが収(おさ)まってからすぐに玄関からグループ全員が外に出た。ここでは、他に「火災」「洪水(こうずい)による床上(ゆかうえ)浸水(しんすい)」なども疑似体験できるという。若干(じゃっかん)の映像と音で演出される災害は、現実感にはやや欠けるが、住宅(じゅうたく)内の家具や設備を操作(そうさ)でき、貴重(きちょう)な体験となった。
その他、消火器による天ぷら油火災の消火体験、煙(けむり)の中で の避難行動体験なども行い 16:00 過ぎに体験ツアーを終えた。その後、センターに特別にお願いしていた「防災講話」を行っていただき、横浜市民防災センターの役割(やくわり)や東日本大震災の後に見直しがなされた横浜市の防災計画の概要(がいよう)、そして鎌倉市の防災計画についても触(ふ)れていただいた。体験ツアーのすべてのプログラムを終えた後、学生達は“ハローウィン・クイズ”に応募し、それぞれ記念品をもらってうれしい 思い出となった。学生達は 17:20 頃(ころ)に大船駅、鎌倉駅から帰途(きと)に着いた。
ゼミ学習 B 第2回 サブテーマ「大震災の被災・避難所の体験談、鎌倉市津波シミュレーション映像を踏(ふ)まえた防災意識の学びあい」
7名の学生が、宿題の「自分あるいは肉親・知人の大きな地震の体験談」をたずさえて、第2回講座に集まった。初めに、学生一人ひとりから簡単(かんたん)に、前回講座の横浜市民防災センターで最も印象深かったことと宿題で取上げたのは何という地震だったか報告してもらった。その結果、横浜の防災センターでの体験イベントの中では大半が、地震シミュレーターでの大地震の揺れの体感を挙げた。また、宿題では自身の東日本大震災での体験を挙げたのが4人で、他の3人は体験談ではなく仮の大地震時の自分の行動について書いている。
最近の国内の4つの大震災と関東大震災から見えてくるもの
取上げたのは阪神(はんしん)淡路(あわじ)大震災(HA)、中越(ちゅうえつ)地震(CH)、東日本大震災(HG) 熊本(くまもと)地震(KM)と鎌倉も大き な被害を受けた少し昔の関東大震災(KT)です。発生した地震の特徴(とくちょう)としては、マグニチュ ードでは M6.5~9 と様々ですが、共通しているのは、最大震度7という激震(げきしん)をもたらしたことと大きな 余震が起きたことです。地震のタイプでは、HA,CH,KM が直下型、HG が海溝(かいこう)型で、KT が両者の境界 で起きたものとされ、海溝が絡(から)む HG と KT では大きな津波が発生し、多大な被害もたらした。死者や 建物の倒壊、火災発生、避難者などでもその被害は甚大(じんだい)なものだった。
それらの大震災での被災状況の写真を見ながら、それぞれの地震による被災状況の特徴を学んでいった。大都市での倒壊や火災発生、中山間地での崖崩れ、海中で発生した巨大な津波などがもたらす被害
を実感してもらった。そして、関東大震災における鎌倉での被害(ひがい)は、津波(つなみ)、倒壊、火災、崖崩れなどすべてにわたっていたことに注意が必要とされた。
私達が大震災の体験から得たものは
大地震が発生した時に五感で受け止めた体感、そして、余震の恐(おそ)ろしさとその中での当面の避難行動の 決め方、避難先で起きたことなどについて、講師自身の CH での体験が語られた。つぎに、HG での巨大(きょだい)津波の予測を超えた襲来(しゅうらい)に対し、子ども達が大人の判断を超えて、柔軟(じゅうなん)に適切に判断し、助け合いながら高台に避難して、ほとんど犠牲(ぎせい)者を出さずにすんだという「釜石(かまいし)の奇跡(きせき)」の経験が紹介(しょうかい)された。そして、数か月という長期間にわたる避難所生活における集団生活の難しさと、それを乗り越えるための工夫について、講師がかか わった CH と HG での経験が話された。
学生達からも宿題の大地震の実体験や仮体験時の行動について発表してもらった。HG についての実 体験報告では、学生が幼稚園(ようちえん)児だったときの記憶であり、スーパー上階からの階段避難の混乱や、両親不在の中での祖父の出迎(でむか)えまでの待機の緊張、など貴重な話しを聞くことができた。仮の地震体験時の行 動では、周りの人たちと一緒(いっしょ)に行動したいという話もあり、意義のある報告会となった
この鎌倉で大地震による津波に襲(おそ)われたら
私達の住む鎌倉市は、相模トラフや南海トラフによる地震がもたらす大津波などによる被災について、現実感をもって受け止め、そのときの避難行動をしっかりと体で学んでおくことが重要として、津波ハザードマップをまとめただけでなく、津波シミュレーションの動画を作成し、市民に公開している。そこで、本講座でもその津波シミュレーションの動画をじっくりと鑑賞(かんしょう)し、対応行動について話しあいを行った。学生達からは「これほどの津波が、街(まち)の中まで押(お)し寄せるとは考えていなかった」という感想が出されるとともに、ハザードマップでも予測されていない内陸部(大仏や市役所、深沢、大船など)についても心構えをしておくことが大切という話が出された。また、シミュレーション動画で述べられた地震発生から津波がやってくるまでの8分間で、人はどの 位の距離(きょり)を歩けるかという講師の問いかけに 500~600m との正しい答えを出せる学生は少なかった。
次回の「鎌倉の歴史に見る大地震や津波の被災地視察(しさつ)」についての簡単なガイドと、次回までの宿題の 課題説明がなされ、講座を終えたのは 16 時ちょうどだった。
ゼミ学習 B 第3回 サブテーマ「鎌倉の歴史に見る大地震や津波の被災地視察」
心配された午前中の雨も上がって、7名の学生が江ノ電由比ヶ浜駅前に 13:45 に集まった。鎌倉国宝館の学芸 員・浪川幹夫先生に指導をお願いし、関東大震災(以下、大震災)による由比ヶ浜/長谷/坂ノ下付近の大地震や津波の被災跡(あと)を体感するツアーであ
る。駅前でまず、鎌倉にも大きな被害をもたらした関東大震災(1923 年 9 月 1 日)の特徴(とくちょう)を最近の大震災や津波との関係で簡単(かんたん)に復習した後、浪川先生からこの日のツアーで巡る場所の震災当時の被災の概要(がいよう)が、この地域の被災直後の航空写真(海軍航空隊・航空写真【長 谷】〔防衛省防衛研究所蔵(しょぞう)〕/鎌倉市 HP より)を用いてなされた。14:00 少し前に由比ヶ浜駅前の路面 に記された津波避難経路指示「鎌倉文学館まで約 500m」の→にしたがって歩き始めた。
文学館入口の石組みの門にはくずれた跡(あと)が
旧前田侯爵(こうしゃく)別邸(べってい)の鎌倉文学館に着いたのは 14:05 頃 で、 7 分程を要した。正門を入り坂道を少し登ってゆくと受付そして石組みの門「招鶴洞(しょうかくどう)」が現れた。小さなトンネルだが、大震災で元の石組みがくずれ落ちて、現在のモノはより低い高さで再構されたという。その裏(うら)側に廻(めぐ)り元の石組みの上部アーチ跡を確認することができた。さらに文学館前庭に立ち、ここが当時も住民の避難先になったとのことで、海が望める高台であることから、安心感を実感することができた。なお、文学館を含め、この周辺のあちこちの裏山で崖崩れが起きたが、鎌倉時代の街づくりにおいては、周囲の山を垂直(すいちょく)に切って利用可能地を確保したことが、こうした災害の危険(きけん)性を高めたのであろうとの説明もなされた。旧別邸の建物は大震災で倒壊後建替えられ、1936年に改築されたものだが、内部の和洋の様式を見学した後、すぐ近くの長谷子ども会館に向かった。こちらの建物は明治時代に建てられ、鎌倉でも代表的な古い洋館だが、大震災でも倒壊せず震災時には諸戸邸として応急の救護所になったところである。
避難経路を逆にたどって由比ヶ浜海岸へ
14:50、長谷子ども会館から、稲瀬川(いなせがわ)河口の由比ヶ浜海 岸を目ざした。稲瀬川は、大震災の時には、二筋(ふたすじ)の流域(りゅういき)に沿って津波が侵入(しんにゅう)して、江ノ電の軌道(きどう)を越え、北方は県道に達し、西方は長谷駅より数十m奥(おく)まで至(いた)ったという。今は暗渠(あんきょ)となっているその流域に沿って、周囲の砂丘(さきゅう)地形の中の低地部であることを確認しな がらの歩行であった。10 分足らずで海岸に着いた。そこには「鎌倉文学館まで約 630m」との避難経路の路面指 示と海抜(かいばつ) 4.2mの標識があった。穏(おだ)やかな海が広がっていたが、震災時にはまず沖合(おきあい) 500m まで海水が引き、その後津波が押し寄せてきて、付近の建物はことごとく流されたことが写真を交えて説明された。また、関連の関心事として、鎌倉の大仏が大震災で津波の被害を受けたとされていることについても、少なくとも津波の到達はなく、本震の揺れで前方に 46cm せり出し、翌年(よくねん)1月の強震で 30cm 後退したというのが事実との説明がなされた。
津波と火災の被災地を経て長谷寺の展望台(てんぼうだい)へ
15:15、由比ヶ浜海岸から、あらためて長谷寺に向かった。津波の襲来(しゅうらい)が長谷駅の少し北側までで、そこから長谷寺前の交差点付近までの一帯は、地震による倒壊で大火災が発生し建物がことごとく焼失(しょうしつ)したとのことであった。当時の火元事情は現在とは異(こと)なるものの、避難時の火の扱(あつか)いには今でも注意が必要であろう。長谷寺では十一面観音像にお参りをした後、展望台に向かった。眼下には、長谷、坂ノ下、由比ヶ浜の街並(まちなみ)と海岸が広がっていた。ここでも「鎌倉震災史」(鎌倉国宝館)掲載(けいさい)の高台から撮られた「坂ノ下から由比ヶ浜の津波跡」の写真を使って、その津波被災の惨状(さんじょう)があらためて確認された。
その後、展望台では、3 回にわたったゼミ学習 B のプログラム全体を通した講座アンケートを、参加 学生に記入してもらい、次回 12 月 4 日の定例授業までの宿題を託(たく)して、終了(しゅうりょう)した。長谷駅前での解散は 16 時少し前であった。
以上
(文責 中村和男; 写真 島村国治)