2014(平成26)年度 第5回授業

「私のサッカー人生」

 

講師 奥寺康彦先生 横浜FC会長

 

2月21(土)14時~16時  

建長寺宗務本所2階応真閣

 

(授業レポート・要約)


 

(はじめにDVD上映。奥寺選手が日本人プロの第1号としてドイツで活躍したプレーや、現役時代に通算296試合に出場し、38得点をあげたことなどを紹介)

     

    

友だちのさそいでサッカー部へ

ぼくは秋田生まれで、小学42学期のとき、横浜市の東戸塚小学校に転校してきました。子どものころは、なわとびや野球など、いろんな遊びをしましたが、卓球(たっきゅう)がうまかったので、舞岡(まいおか)中学校では卓球部に入りました。でも、1年生は球を打たせてくれません。毎日ランニングや腹筋(ふっきん)運動、素振(すぶ)りばかり。おもしろくありません。

そんなとき、友だちが「サッカー部に入らないか」と誘(さそ)ってくれました。それがサッカーとの出会いでした。サッカーはやったことがないので、ボールがうまく蹴(け)れない、ヘディングすると痛(いた)い。走らされるのもいやでした。でも、皮のボールの6角形の縫(ぬ)い目を油でぬりながら、みんなとおしゃべりするのが楽しかったです。

 

みんなが認(みと)めてくれた

2年生になって足が一番速くなり、レギュラーになりました。毎日残ってシュートの練習をしました。自分で点を取って勝ちたかった。その目標(もくひょう)を持って、工夫をしながら練習したのがよかったと思います。

新人戦で優勝(ゆうしょう)して学校に帰ったら、「オク、よかったな」「すごいなぁ」と友だちが声をかけてくれたのが、とてもうれしかった。みんなが自分を認めてくれた、喜んでくれた、そのことが、サッカーを長くつづけられる動機(どうき)になったと思います。

そして、もっとうまくなって全国大会に出たいという夢を持つようになりました。サッカーが強かった相模(さがみ)工大付属高校(現・湘南(しょうなん)工大付属高校)に入り、県大会で優勝して全国大会に行きました。しかし、強い高校がいっぱいあり、すごい選手がたくさんいて、刺激(しげき)になりました。「これじゃぁ、だめだ」と、いっそう練習にはげむようになりました。

 

右足をけがして左足キックが強くなる

3年生になる前に、右足に大けがをして、1ヵ月入院しました。退院して左足で蹴る練習ばかりしたら、左足のキックが強くなりました。速い走りと強い左キック。これが財産になり、やがて、ぼくを世界に連れて行ってくれることになります。

高校を卒業して、社会人チームでプレーをしたいと思い、古川電工のサッカー部に入りました。19歳(さい)以下のユース世界大会の日本代表になり、フィリピンへ初めて海外遠征(えんせい)しました。

21歳になる前に腰(こし)の病気になり、また入院しました。退院して試合に出ても、後半は動けず、くやしく、苦しい思いをしました。もうやめようかと思いましたが、監督(かんとく)や仲間が「がんばれ」と言ってくれました。しっかり治療(ちりょう)して、5か月で治りました。


ブラジルのサッカーに学ぶ

 1976年、23歳のとき、「ブラジルへ行って来い」と言われ、飛び上がるほどうれしかった。ぼくはドリブルなどボールコントロールが不得意だったので、「ボール扱(あつか)い世界一」と言われたブラジルで学べるチャンスを与(あた)えられたのです。しかし、練習は月火水の3日間は走らされたり、筋(きん)トレばかり。木曜になってようやくボールで練習し、土曜日に試合という日程でした。2ヵ月間ブラジルにいましたが、筋トレのおかげでボールコントロールがうまくなりました。この練習が自分を変えてくれました。

 

ドイツで9年間、活躍

 その後、1977年にドイツの監督に誘われて、ケルンのチームに入りました。合宿でいろいろテストされ、「お前、プロにならないか」と監督に言われました。言葉もできないので、ためらいましたが、ノーと言えばおしまい。思い切って家族を連れてドイツに行きました。「サッカーの弱い日本から来て大丈夫(だいじょうぶ)か」と言われましたが、監督は「人種は関係ない」と、かばってくれました。

 ドイツカップ準々決勝で初ゴールを決め、そのあともう1点を取ったら、みんなが見直してくれました。そして優勝しました。9年間、ドイツでプレーして、ブンデスリーガで25得点をあげました。

 

目標を持とう

 みんなも目標を持ってください。目標を持てばチャンスを生かせる。だれでも不得意なものを持っていますが、工夫して練習や試合をしているうちに、それを乗り越(こ)えることができます。そして、うまくなっていきます。好きなことを目標にして、大事に育てて行ってほしいですね。

 

個性を持とう

日本に帰ってきてからしばらくして、Jリーグも開始され、5回もワールドカップに出られるまでになりました。日本が外国のチームと違(ちが)うのは、いい選手がいるのに、ゲームになると、力を発揮(はっき)できないことです。勝つためには選手一人一人が、いいところを出し合う必要がありますが、それができていない。韓国(かんこく)の選手が言っていました、「日本はうまいが強くない。韓国は下手(ヘタ)だけど強い」と。日本チームには、その強さが必要です。試合で一対一になったとき、相手に当りに行かない、ボールを取りに行かない。日本には個性を持った選手が必要です。そういう選手がいないと、日本は強くならないと思います。

(最後にDVD上映(じょうえい)。ドイツでの左キックによる初ゴールなどを紹介(しょうかい)。「東洋のコンピューター」の字幕が出る)



 

 

[質問コーナー]

 

Q 試合をしていて一番強いと思った選手は?

奥寺先生 アルゼンチンのマラドーナがすごかったねぇ。ドイツのルンメニゲはスピードがあって、いい選手でした。

 

Q 心に残った試合は?

奥寺先生 たくさんあるけど、一番心に残ったのはドイツで初めて左足でゴールを決めたときだね。

 

Q そのとき緊張(きんちょう)しませんでしたか?

奥寺先生 緊張しましたよ。外国の選手は「失敗してもしょうがない」と思うけれど、日本人は「失敗したくない」と、思い切ったプレーができません。こういう文化の違(ちが)いがありますね。まずシュートすることですよ。

 

Q サッカーをやめたいと思ったとき、どうしましたか?

奥寺先生 いい仲間がいたから、やめたくないと思いました。

 

 


2014年度修了証書授与式

  

   2014年度の子ども大学かまくらは、

   第5回授業の後、修了式を行い終了いたしました。

   ご協力ありがとうございました。